こんにちわ
【危機タイムズ】です。
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また一人、レジェンドが逝ってしまった…
ジョージ・マイケルがクリスマスに死去
イギリス出身の歌手、ジョージ・マイケル(George Michael)が、25日、イングランド・オックスフォードシャー州の自宅で死去した。
日本では、ワム(WHAM)!時代の名曲「ラスト・クリスマス」で知名度を高めた、ジョージ・マイケル。この曲にちなみ、クリスマス当日に亡くなるという、ドラマのような演出でこの世を去った…というのも、レジェンドらしい終わり方だ。
I am in deep shock. I have lost a beloved friend – the kindest, most generous soul and a brilliant artist. RIP @GeorgeMichael pic.twitter.com/1LnZk8o82m
— Elton John (@eltonofficial) 2016年12月26日
親交があった、エルトン・ジョンやマドンナ他、スターたちからも、悔やむ声が寄せられている。死因は「心不全」。マネージャーの話によると、自宅のベッドで横たわったまま、穏やかに息を引き取ったそうだ。
53歳、若すぎる死…
「素晴らしいシンガーだった」「才能があっただけに残念」など、日本からもお悔やみのコメントが寄せられている。
Ladies & Gentlemen: The Best of George Michael
2016年に死去したレジェンドたち
2015年の大晦日、12月31日に亡くなった、R&B/JAZZシンガーの、ナタリー・コール。元旦から、トップ・シンガーの訃報が届き、続くように、2016年は「レジェンド」と呼ばれるシンガーが、何人も亡くなった。
その10日後、英国、そして世界を代表するロック・シンガー、デヴィット・ボウイが死去。18日には、『ホテル・カリフォルニア』などで知られるロック・バンド、イーグルスのメンバー、グレン・フライも亡くなった。
Best of Bowie
2月には、EW&F(アース・ウィンド&ファイアー)の中心メンバーであるモーリス・ホワイトが、そして4月には、「殿下」こと、プリンスが死去。世界中のファンが悲しみに暮れた。4月には、カントリー界のレジェンド、マール・ハガードも亡くなっている。
HITS 1 & 2 (3CD BOX SET)
秋には、度重なる整形で世間を騒がせていた、デッド・オア・アライヴのピート・バーンズが10月に亡くなり、同月には、マイケル・ジャクソンの「スリラー」を手掛けたことでも有名なプロデューサー、ロッド・テンパートンも死去。
11月には、レオン・ラッセルやレナード・コーエン、シャロン・ジョーンズといった、音楽マニアから絶賛されていたレジェンドたちの訃報が一気に届き、「ひとつの時代が終わった」ことを物語った。
NPR Music remembers the musicians we lost in 2016, a year like no other in recent memory. https://t.co/f5qRUZeNH3 pic.twitter.com/7ObWqmdb1C
— nprmusic (@nprmusic) 2016年12月19日
海外サイトだが、ここに今年(2016年)亡くなったレジェンドたちが、一覧で特集されている。
海外だけでなく、日本のレジェンドたちの訃報も。
女優としても大活躍していたりりィや、シンガーソングライターの村田和人、そして、BOOM BOOM SATELLITES(ブンブンサテライツ)の川島道行が亡くなったことが、大きな話題となった。
いわゆる「才能にあふれた」レジェンドたちが次々に亡くなった、2016年。偶然なのか、はたまた…
19972007
「ラスト・クリスマス」は最大のヒット曲ではない?
先述にもあるように、日本ではこの曲
ワム!(WHAM)時代にリリースした、クリスマスの定番「ラスト・クリスマス」が、ジョージ・マイケルの手掛けた曲の中で、最も有名なナンバーだが
実はこの曲、本国UK(イギリス)チャートで首位を逃し(最高位2位)、アメリカのビルボード・チャートでは、ランクインすらしていない(圏外)。その他の主要国でも、1位を獲得した国はないという、意外な事実…
ワム!最大のヒット曲は、「ケアレス・ウィスパー」。1984年7月にリリースされ、イギリス、アメリカ、オーストラリアなどで首位を獲得し、翌85年のアメリカ・シングル年間チャートでも、No,1をマークした。
HIDEKI 80’S
このヒットを受けて、日本でも西城秀樹が「抱きしめてジルバ」というタイトルで、郷ひろみは同タイトル「ケアレス・ウィスパー」で、同年秋にカバーし、話題を呼んだ。
「ケアレス・ウィスパー」が収録されたアルバム『メイク・イット・ビッグ』も、アメリカ、イギリスなど、10ヵ国以上で1位を獲得し、アメリカで600万枚、イギリスで120万枚、日本でも、80万枚を超える、洋楽としては異例の大ヒットを記録したが、このアルバムに「ラスト・クリスマス」は収録されていない。
「ラスト・クリスマス」は、ワム!のラスト・アルバム『エッジ・オブ・ヘヴン
(Music From the Edge of Heaven)』の先行シングルとして、84年12月10日リリースされた、11枚目のシングル。制作は、ジョージ・マイケルと、もう1人のメンバー、アンドリュー・リッジリーが手掛けている。
当時の「売上」自体は、それほど良かったとは言えないが、同年のホリデー・シーズンから現在に至るまで、毎年、全世界で流れ続け、幅広い層に知られ、愛される1曲に。ジョージ・マイケルの楽曲中、「知名度」の高さでいえば、やはりこの曲に軍配が上がる。
テイラー・スウィフトやアリアナ・グランデ
といった、今をトキメくアーティストたちもカバーしていて、日本では2008年にEXILE(エグザイル)が日本語でカバーし、首位を獲得する大ヒットを記録した。
完成度は、賛否両論。
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アメリカでは、「クリスマス・アルバム」、「クリスマス・ソング」をリリースできることは、アーティストにとってひとつのステータスになる。それだけ「大物になった」という証だ。
ペンタトニックス・クリスマス(ジャパン・エディション)
華々しいソロ・デビューから低迷期へ…
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『メイク・イット・ビッグ』、「ラスト・クリスマス」がリリースされた、1984年から3年後の1987年10月、ジョージ・マイケルのソロ・アルバム『フェイス
本作からは、タイトル曲や「ワン・モア・トライ」など、計4曲が全米No,1を獲得し、アルバムは翌88年の年間チャートで首位をマーク、ワールド・セールスは2500万枚を突破するモンスター・ヒットとなった。
華やかなソロ・デビューを飾ったジョージ・マイケルだが、1990年にリリースした2ndアルバム『 リッスン・ウィズアウト・プレジュディス(Listen Without Prejudice
Vol. 1)』では、「前作の大ヒットに続く…」と言えるほどのヒットには至らず、首位は逃し、売上枚数も半分以下に落ち込んでしまう。内容自体は決して悪くないアルバムだが、デビュー作のインパクトがあまりにも強すぎて、「あれと比べれば駄作」と評価されてしまうのも仕方ない…
しかし、世界のトップスターたちは、セールスが落ち込んでも「内容のせい、自分のせい」には絶対しない。マライア・キャリーやマドンナもそうだ。ジョージは、2作目の失敗は「レコード会社のプロモーション活動に問題がある!」と訴え、裁判に発展する事態に…
裁判の結果、コロムビア・レコードに40億以上の違約金を支払い、ヴァージン・レコードに移籍する。おそらく、この違約金はヴァージンが支払ったもの。40億を支払ってでも欲しい、ジョージ・マイケルはそれだけの「価値」があったのだ。
しかし、フタを開けてみると…
1996年、ヴァージンからリリースした3rdアルバム『オールダー(Older)』は、本国UKはじめヨーロッパ各国では首位を獲得したが、アメリカでの最高位は6位。「成功の基準は全米チャートの順位、売上か?」と言われたらそれは違うが、数字を稼がなければいけないレコード会社は、そうも言っていられない。
結果、総売上は前作『リッスン・ウィズアウト・プレジュディス』と同等の800万枚程度で終わる。「全世界で800万枚売れれば十分じゃないか!」と、今なら思えるが、レコードの売上が爆発的に良かった90年代、この数字は決して「良い」とは言えないものだった。
3年後の1999年にリリースした、ジャズ・アルバム『ソングス・フロム・ザ・ラスト・センチュリー(Songs from the Last Century)』は、本当に素晴らしい出来だった。今聴いても、まったく色褪せていない。ジョージ・マイケルはジャズで本領を発揮できるアーティストだ、と断言できるすばらしい完成度だったが、売上は、これまでリリースされたアルバムの過去最低を記録、全米では最高位157位という、凄まじいランクダウンを果たす…
思ったほどのセールスが見込めず、この2枚でヴァージン・レコードとの契約は終了
その4年後、2003年に古巣コロムビア(CBSレコード)に戻り、翌年5枚目のスタジオ・アルバム『ペイシェンス(Patience)』をリリースするが、UK(イギリス)などで首位を獲得するも、「世界的大ヒットを記録した」とはいえない、微妙な結果で終わる(全米最高位12位、ワールドセールス400万枚)。
それから10年
2014年に、コンテンポラリー・アルバム『シンフォニカ(SYMPHONICA)』を発売。本作は、2011~12年に行われた『シンフォニカ・ツアー』で歌われたナンバーを収録したライブ盤で、自身のヒット曲やカバー曲などが選曲されている。
オリジナル・アルバムではないが、実質上はこのアルバムが、ジョージ・マイケルの「最後のアルバム」ということになる。ちなみに、来年3月には『フリーダム』というタイトルの、ドキュメンタリー映画が公開される予定だったが、予定通り公開されるかは未定。
#GeorgeMichael "Freedom", Documentary film will now air in March 2017. #RIP pic.twitter.com/Ucg2Xzu8wD
— Isaac Emerson (@_IsaacEmerson) 2016年12月26日
また、人気プロデューサーのノーティ・ボーイとアルバムを制作中とも報じられていたが、それらの楽曲がどういう形でリリースされるかも、現時点ではわからない。お蔵入りにならないことを祈る…
私生活もスゴイ!ジョージ・マイケル、波乱の人生…
1998年、公衆わいせつの現行犯で逮捕された、ジョージ・マイケル。
その場所が、LAの公園内にある「公衆トイレ」だったそうで、そこで自慰行為をみせた相手が警察官だった…という、いわゆる「おとり捜査」によって逮捕されてしまったというから、驚き…というか、笑うしかない。
本人も、自虐ネタとして取り上げ、それがキッカケで、自身が「ゲイ」であることをカミングアウトできた(?)結果オーライ、ということで…
しかし、彼のトラブルは「わいせつ罪」だけではなく…
もっとも問題視されていたのが、「薬物」による逮捕やトラブル、体調不良など。薬物所持と使用により、2008年に逮捕されたが、その際、逮捕された場所が「ロンドンの公園内にある公衆トイレ」だったとのこと。
「え、、、また!?」
10年越しに公衆トイレで逮捕されてしまった、ジョージ・マイケル。しかも、2回目はドラッグ付きで。ちなみに、逮捕された公園は、ゲイが集まる場所としても有名だったスポットとのこと。
公園のトイレじゃないと、興奮しない
公園のトイレでこそ興奮する、ナニか…が、あるのだろう。
その時は、所持していたドラッグの量が少なかったため、「警告」だけで済んだという。日本では考えられないような法律だ…
そういった危険行為だけでなく、近年は体調不良に悩まされていたジョージ。2011年には肺炎で1か月月入院し、病気が少し良くなったと思ったら、2年後には車から転落し、頭を負傷。再び入院することに…
その後は大きなトラブルや病気、怪我などは報じられなかったが、今回の死因となった「心不全」には、やはりドラッグの使用が影響しているのではないかと囁かれている。現時点では、あくまでメディアの「予測」だが…
出典:https://www.thesun.co.uk
死因やこれまで犯した罪はどうであれ、ジョージ・マイケルが素晴らしいアーティストだったことは間違いない。不適切な表現になってしまうかもしれないが、2016年の訃報の最後を飾るに相応しいレジェンドの最後を、この名曲で締めくくる。
「Kissing A Fool」
R.I.P George Michael
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